英語勉強中のちょっとしたコラム

ヴィクトール・フランクル 夜と霧の感想

夜と霧

いつだったか、ボクシングの村田諒太氏が本書を読んでいることをテレビで見て、私もamazonで手に取ってみた。

私自身は歴史が好きだし、ナチスによるホロコーストの実態や、実際にイスラエルにあるヤド・ヴァシェム、いわゆるホロコーストの記念館にも訪れたこともあり、ナチスによるユダヤ人に対する非人道的な行いについては、それなりに知っているつもりでした。

しかしながら、本書は著者が収容所に入れられている点は同じであるが、著者自身が精神・心理学者ということで、自身の体験もさることながら、収容者の心理や行動について客観的な考察をしている点が、他の本などと異なっている点。

悲惨な収容所生活の中で、それでも希望を失わない、ありきたりの表現かも知れないが、毎年数万人にも及ぶ自殺者、多くのうつに悩まされる人が多い現代に生きている私たちにとって、非常に参考になると思いますので、紹介させていただきたいと思います。

 

夜と霧のあらすじ

本書は第二次世界大戦中、ナチスドイツによって強制収容所に入れられ生還したユダヤ人の心理学者である、ヴィクトール・フランクル氏による著作です。

収容された時、収容時の状況、解放された時の3パートからなっており、特に収容時における収容者の心理面が鋭く考察されています。

それぞれの場面や事象に対して、心理学者ならではの考察がなされており、とても興味深いです。

例えば、収容時においては、やけくそのユーモアや、好奇心が多かったこと。もちろん、好奇心といっても悲惨な経験への結末に対する好奇心なのですが…。

丸裸で、シャワーを浴びたためにまだずぶ濡れで、晩秋の寒さのなか、戸外に立たされていることの結末やいかに。 引用:第一段階 収容 より

それが、第二段階の収容所の生活になると、心の内面が死んでいく部分の考察から始まり、様々な出来事に対して著者自身が体験したことのみならず、同じ収容者の行動を心理学的側面で客観的に見ているところに移ります。

第三段階の解放にあっては、ただ単にハッピーでしたで終わることなく、収容者の行動や考え方が述べられています。

「なあ、ちょっと聞くけど、きょうはうれしかったか」(中略)
「はっきり言って、うれしいというのではなかったんだよね」
わたしたちは、まさにうれしいというのはどういうことなのか、忘れていた。それは、もう一度学びなおさなければならない何かになってしまっていた。
解放された仲間たちが経験したのは、心理学の立場から言えば、強度の離人症だった。 引用 第三段階 収容所から解放されて

 

夜と霧の感想

夜と霧 感想

本書を読んでいただくと様々な感想があると思いますが、私なりに次の6つの部分がとても印象に残ったので紹介させていただこうと思います。

あらかじめ言っておきますが、単に希望を見出すだけの部分ではありません。

愛する人のまなざしや面影を思い出すこと

収容所に入れられ、なにをかして自己実現をする道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい無痛に耐えることしかない状況であっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。 引用:第二段階 収容所生活

この部分は、心理学的考察というよりも、むしろ著者が直面した悲惨な状況に対して主観的というか素直に思ったことを吐露している部分だと考えられます。

しかし、素直な人間の心理がありのままに記載されている個所として、私としては非常に記憶に残る部分です。

今現在においても、生きていればたくさんの辛い出来事が、現在進行形で襲ってきていますが、そんなときに、誰かとても大切な人の笑顔や楽しかったことなどを思い出す、そして満たされることができるのではないか、という示唆を与えてくれる一文だと思います。

無期限の暫定的存在による希望を失うこと

著者は、強制収容所における被収容者のことを「無期限の暫定的存在」と定義していますが、これは、ざっくり言えば、いつその事象が終わりになるのかわからない状態のこととしています。

この状態になると、何か希望や目的をもって生活することが非常に困難になってきます。無気力で堕落した存在となってきてしまう。

そこで、著者は心理学者という立場から、未来に目を向けて精神的に励ます方法を用いることが有力になるとも言っています。

他方で、希望に満ちた未来を想像することが、破滅に向かうトリックであるともしています。

具体例として著者が引用している出来事は、1944年のクリスマスからよく新年あけの間に大量の死者が出たことで、これは著者によれば以下のように説明されています。

この大量死の原因は、多くの被収容者が、クリスマスには家に帰れるという、ありきたりの素朴な希望にすがっていたことに求められる(中略)収容者は一般的な落胆と失望に打ちひしがれたのであり、それが抵抗力におよぼす危険な作業が、この時期の大量死となって表れたのだ。 引用:第二段階 収容所生活

この箇所は、読んでいて、自分に投影したとき、例えば仕事上の悩みがあった時に、希望をもって過ごすことはダメだといっているように思えて、ちょっと落胆する部分ではありました。

なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える

続いて著者は、そうはいっても、現在の悲惨な収容所生活から精神的に耐え、抵抗できるようにしてやらなければならないと考えます。

ここで著者は、考え方を方向転換させる必要があると書いています。

わたしたちが生きていることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、いきることが私たちからなにを期待しているかが問題なのだ。 引用:第二段階 収容所生活

具体的に直面している苦しみや困難が避けられないもので、だれもその身代わりになることができないのであれば、その苦しみを引き受けることが、この辛い苦しい状況を乗り切るたった一つの可能性であるとしています。

そしてどれだけも苦しみつくさなければならないとしています。

そして苦しむ運命にあること、現実に苦しんでいるを受け入れることによって、自分自身の生きること・存在している意味や価値を見出すことであることとしています。

あなたも確かに今、苦しい状況かも知れません。そこから楽観的な未来を夢想してしまうのも無理からぬことかもしれません。

著者は死にゆくことの運命も生きることの一部であるとして、そこに個人の生きる価値を見出そうとしています。全く逃げようのない、食べ物もない、生きたいという希望があるのにもかかわらず簡単に死を与えられてしまう。

こうした状況の中でも、それをとことんまで苦しみぬくことが生きる意味を見出す方法であると著者は書いています。

私たちが今現在、生きている状況の中、何らの示唆になるとは思いませんか?

あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない

シンプルながら、これは素晴らしい言葉だと思います。

あなたも今まで生きてきて、いろいろなことを経験されていると思います。

自分は平たんな人生であった、と言っていても、少なくとも何らかのことに関しては、他人と違う人生だったのではないでしょうか。

精神の自由:おのれの尊厳を守るのは、自分自身で決めることだ

人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。 引用:第二段階 収容所生活

著者が語りかけるこの一文はとても力強いと感じます。特に悲惨極まりない収容所生活の中で、このような人としての魂を持ち続けることができるのだとしています。

自分自身の今の現状を振り返ってみてください。

絶望しかないでしょうか?

現在に生きる私たちも、様々な選択肢が提示されている中に生きている、生きていることができていると思いませんか?

放免されたときに来る失意

著者は放免されたときに来る失意についても、第三段階のパートで書いています。

上記で書いた「離人症だったのだ」には、続きがあって、放免当初はうれしさという感情すら忘れていたが、数日たつと、内面における感情がほとばしり出て、美しい世界の中にある自由をしっかりと認識し、新しい人生に向かって歩くさまが描かれている。

他方で、解放された者として、自分が自由にふるまえるのだとと勘違いすることもよくあったとしています。

解放されたのち、著者は仲間と田舎町を歩いていて麦畑の前まで来ますが、著者が麦を踏むのはよくないというのにもかかわらず、仲間は自分の妻子がガス室で殺されたことを引き合いに、麦を含むくらいどうでもいいではないか、とのことを言います。

辛く長い抑圧生活の中、このような精神状態になるのは仕方ないのかもしれません。なんで、あんなにつらいことを経験させられてまで、わたしは(おれは)まだ何かを我慢しなければならないのか…。

このパート、現代を生きる私たちの立ち居振る舞いなどに、ある意味での示唆を与える個所ではないでしょうか

 

まとめ:ひたすらに仕事や人生に耐えている人へのおすすめの「夜と霧」

ネガティブな部分も含めて感想を紹介しました。

本書のほとんどは収容所生活における辛く厳しい現実です。

しかしながら、辛く厳しい現実にある現状に対して、何らかの示唆を与えてくれる個所はたくさんあります。

圧倒的に悲惨なナチスの収容所。死に直面し、明日への希望も見出しづらい究極の極限状況。

もしかしたら、あなた自身も今あなたの生活において、同じようなことを思っていませんか。

本書を何度も読み返してみてください。そして、自分に投影してみてください。

何か、あなたの生きる上でのヒントなり示唆が、本書より得られるかもしれません。

では、また。

 

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